歎異抄

多くの人を惹きつける美しい文章で知られる歎異抄、親鸞聖人の教えが間違っ

て広まっていくのを嘆いた弟子の唯円が、親鸞聖人の言われた言葉を書き残し

たものと言われています。封印を解かれてからは100年の間に700冊程の

多くの解説本が出ていますが、解釈が難しく読み解くのを間違えば諸刃の剣と

なってしまいます。

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」善人でも死んだら極楽に行

けるのだから悪人ならなおさら極楽へ 行ける・・ということですが、?? 

悪人になった方がいいの?と不思議に思ってしまいますよね。お釈迦さまの師

匠である阿弥陀如来は人間はみな煩悩具足の極悪人と言われています。煩悩を

なくすため修行をつまれた親鸞聖人も消える事のない燃え盛る煩悩に限界を感

じ比叡山を下りられました。一生懸命行った善も知らぬ顔をされればこんなに

してやったのに・・という心が湧き出てくる、欲、怒り、ねたみ、そねみの煩

悩は止まらず消えず絶えずです。仏教でいう善人とは自分が悪人とは思わず善

人だと己惚れて本当の自分の姿を知らない人、悪人とは阿弥陀如来にすくいと

られた後、消えぬ煩悩によって悪を作りつづけている本当の自分の姿がはっき

りわかった人の事だそうです。世間一般でいう悪人善人の意味とは違っていま

すね。正しく読み解かないと間違った方向へ進んでしまいます。

阿弥陀仏は罪悪深重、煩悩熾盛の私達、どんな極悪人でもそのままの姿で本当

の幸せに救う、生まれかわり死に変 わりの六道のサイクルから仏として救い

とるとおっしゃっています。命がなくなれば皆仏になれるわけではないのです

ね。

「楽しみの新しいものが幸せ、楽しみの古くなったものが苦しみ」と聞いたこ

とがあります。煩悩が満たされた時、人は幸せを感じますがそれは続かない、

それがまた苦しみのもとになる。本当の幸せとはなんでしょう。何があっても

変わらない永遠の幸せ、そんな身になれれば。生きてよし、死んでよしの平穏

無敵の心になりたいものです。

セミは春秋を知らず

「セミは春秋を知らず」 セミは、地上に現れると夏の間の1週間ほどで

その命を終えます。その前の春や後に訪れる秋を知らないと言う意味です

が、人間をセミにたとえての教えだそうです。

人間も現世の今の事しか見えず、勝ち組、負け組という言葉があるように

持っては行けない海に浮かぶ板切れのお金や名誉を手に入れる事に一生懸

命です。人との出会いにも必ず別れが訪れますし、お金や名誉も続かない、

必ず手放さなければいけないもの。

夢の中 集めた宝みな置いて 業を背負いて一人でて行く・・

ホテルのチェックアウトのように手に入れた宝はみな置いていかなければ

いけませんが、自分の阿頼耶識の中に詰め込んだ業は全て持っていかなけ

ればいけません。宝を集めるためにやった行いや想いが詰まっています。

人は生まれた時のスタートラインから不平等。裕福な家庭に生まれる人も

いれば争いが絶えない貧しい国に生まれる人もあり、人生はなぜ?と思う

理不尽な事ばかり。でも過去世、現世、未来世と三世をまたいでみると、

ちゃんとつじつまが合うようになっているそうですよ。

過去世の行い、業によって生まれ方も違ってくる。物事には全て原因と

結果があり、全ては自業自得。三世因果の道理であり、阿頼耶識は悠久

の過去世から永遠の未来世に続いていく・・と言う事をお釈迦さまは教

えておられます。生まれかわりを繰り返しながら六道という苦しみの世

界を永遠に回っている。

「有難い」と言う言葉はあるのが難しい、人間界に生まれるのが難しい

というところからきているそうですが、人間だけが煩悩のかたまりのま

まこの苦しみのサイクルから抜け出すチャンスがあるそうです。

日々自分の阿頼耶識に蓄積されていく想いを意識しながら生きていくこ

とが大切ですね。お釈迦さまの世界観、運命観、自分の心が変われば物

事の見え方も違ってきます。